の伝言

8月7日  熱い夏のこの青い空に私の知らない戦いと悲惨な犠牲の歴史がある。一つ一つを取り上げればもっともらしい理由付けがある。が、今回報道された、靖国合祀をA級戦犯を分祀して、靖国神社を特殊法人化するという案が野中広務官房長官から明らかにされた。
敗戦の歴史と非業の死と国体への思いをない交ぜに封じ込めている靖国に参拝することそのものに議論の必要は今はもう無いと思う、個人が参拝するに限っては。しかし、なぜ、A級戦犯を分祀してまで、靖国を特殊法人化しなければいけないのだろうか。東京裁判そのものの公正さでさえもまだ後世にゆだねている部分があるにもかかわらず、「戦犯」の汚名を着せられた皇国主義の犠牲者がまるで、邪魔者扱いのようにされ、分祀されては、その魂もまたその遺族もあまりにも惨めだ。諸外国の賓客が来日した時に公式に靖国に参拝できるようにするためもその理由のひとつだと言う。海外の来訪者が靖国に参拝できるかどうかがそんなに大きな問題であるのだろうか。外交上と言うのならもっとデリーケートで避けて通れない問題があるのではないだろうか。私は靖国を賞賛するものでは決して無い。しかし、この時代の動き方は最も裁かれなければいけない「戦犯」が生き延びて、その罪を贖うことなく、あたらしい殺戮の幇助の道に里塚を置き始めているとしか思えない。それは、仲間を売って仮面の下の獣の欲望を実現させようとしている60年前と同じではないか。