の伝言

8月2日  夏休み真っ盛りで学生達はバイトで稼ぐ季節です。
目新しいバイト探しにアンテナを立てていた頃がまぶしい懐かしさです。今はファーストフードばかりではなく、あらゆる職種にバイトの若い子が刺さりこんでいる。よく、苦情で聞くのが「社員教育の不備」。
たしかに研修もナニもナシで簡単なマニュアルがあれば良い方で、見よう見真似で結構バイト君たちはこなすのだ。しかし、ちょっと待てよ!問いかけたい。彼らがなんだかんだ云われながらも仕事を器用にこなすのは、平均値の高い「質」としての労働力が提供されているから。それは紛れもなく教育力の基礎力。日本の教育の質が下がっているとは言え、優良で確かな労働力はこれまでなんとか確保されてきた。
ここで、課題ではないかと思うことがある。企業は研修や心得のなんたるか、また、仕事をするということの連帯感と孤独、そんな触れ合いや社員教育をせずに来ていることでのしっぺ返しがきているのではないかということ。バイトで何とかやってきている人たちも「仕事はこんなもんか」という意識から抜けれない。そして、社会に出てこんなことをしたいという夢を感じるバイトの受け皿を社会・企業は怠慢でこれまで作っていない。安易に使い捨てる事でコストだけの人事。仕事から何かが育っていくという喜びを忘れている。企業は教育の場に良質な社会の夢を与える使命があるのではないだろうか。
学歴はすべての人間に必要なわけではない。しかし、考える力は学歴とは無縁に常に必要だ。考える喜び、実現する事の喜びは労働の場でも見つけられるし、その場があるなら、学ぶ楽しさも自ずと生まれないだろうか。
授業の時間数やユトリばかりが見なおす面ではない。大人の役割は大きい。安くて使いやすい労働力とばかりの扱いをして、最後に泣くのは労働力の質をみずから下げさせた企業そのものになるのではないか。