沖縄
2005/10/2
4月に初めて沖縄に行った。沖縄で観光を楽しむには平和の礎を訪れなければならない。
それは長い間、胸に秘めていた決心でもあった。
76歳になる私の母の兄が23歳の時に沖縄で戦死している。
その兄なる人は11人兄弟の三男坊。
独身で戦死したその叔父は、兄弟姉妹も高齢になり、思い出してくれる身内は居ないに等しい。私はその叔父の名前も正確に は知らなかった。
肉親としての情は正直、薄い。その叔父の兄弟が死に、姪や甥に覚えてもらうこともないまま、忘れ去られていくことはどれほど虚しい事だろう。叔父の生きた証は何なんだろう。
せめて、沖縄に行き、平和の礎に彫られているその人を確かめたい、それからでしか沖縄では楽しめない、そう思いつづけて、やっと4月に叶った。
その膨大な死者の名の中にその叔父の名はあった。
「坂東義平」とその刻印に触れ、来たよ、と告げた。
4月の沖縄は海も空も紺碧。北海道では決して見ることのない蒼さだった。
叔父の戦死の知らせは白木の箱に小石が入っていただけと言う。
誰かを愛したり、抱いたり、柔らかな肌の温もりを知る日々があったのだろうか。
その人を待つ恋人もなく、血を分けた子を持つことなく、平和の日々が60年続いたら、
その若い兵隊さんを思い出す人が居ない日ばかりが続いている。
小泉総理の靖国問題が取り沙汰されている。私は参拝に反対するものではないが、その気概で専用機で日帰り参拝を沖縄で見たい。
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