の伝言

8月14日  
  昨年の同じ月に靖国問題に触れていたが、今年は国論が2分されるような問題に発展してしまった。これは時の首相が敗戦記念日に靖国を参拝すると言う発言から世界中の注目を浴びてしまった。この問題はたくさんのテーマがありすぎて収集がつかなくなっていると思う。この発言でアジアの反応が予測されていなかったとしたら、その首相としての資質に問題があると思われる。反応を予測していたとするなら、対応策、国家の方策が無策でこれもまた、内閣全体の力量が不足していた。さらに、国としての有効な対案を提示できない国力の無さを知らされた。
靖国へ帰ることを約束し、死を決意せざるを得なかった若い「生」を思うと、参拝せずにはいられないという首相の真情があるなら、アジアの無残な死を同じアジア民族として同時に共有できるはずだ。
それは将に国家の犠牲に立った平和の礎であるなら、「日本の国民」としてのみの哀悼の意に留まることなく、死者への哀悼というもっと広がりのある行為であってしかるべきではなかったか。
それは靖国参拝の是非ではなく、他の方策でこそ、第2次世界大戦戦後近代史上稀な国民の支持を受けている首相でこそ可能な中国・韓国・日本の閉塞状況を打破できる一手があったはずだ。自身の受けている幸運の実態を知らない悲しさだ。幸運と強運は使いこなしてこその「運のよさ」ではないかな?