の伝言

7月26日 文字を綴ることを苦にしたことはない。だから、ネットの世界でこうしてキーボードに向かう自分自身も不思議なことではない。
でも、こんなに深く生活の中にネットの存在が抜き難く入りこむとは考えてもいなかった。2年前、新聞の再販制度について調べる為に、アクセス・エクセルでデータ処理をする為にパソコンを購入した。webで検索している時、偶然、「チャット」というところに入ってしまった。ビギナーズラックならぬ、ビジターズラック?だったのかも知れない。善意の人に恵まれて、パソコンとパソの技術とをずいぶん教えてもらい、助けてもらった。「メーリング」なるものも知り、1日に数十通のメールを受け取る楽しみも覚えた。そしてぶち当たる「壁」。自分を表現する「割合」なのだ。匿名性を大切にし、見えない分だけ思いやる姿勢。それは一方で表現の消化不良を感じさせることもある。実名で書きこむ時は背水の陣のような気がして書いている時もある。云い過ぎたかなとややトーンダウンする気分。「送信」とボタンをクリックするや、一瞬にして自分だけのものではなくなる。じっくり考えようと思っていながら、すぐに伝える事が出きる快感に誘われてもしまう。webは波の略ではないけれど、通信網の波の泡沫となってしまうんだからと開き直ると忘れる事もできる。
案外、メールによるアクセスはメモを置いていかれる程度の認識しか与えていないのかもしれない。
その虚を突いた、盲点みたいなギャップが「東芝」のHPによる告発、メールによる「航空関係各社」への警告に現れているような気がする。波が寄せて曳くような自然な流れのようで、
曳いた波の跡に残った一握の砂に泡沫にはならない肉声が有ったのだ。寄せて曳く波は通信の波でも、波を起こしているのはまぎれもない実態がある「ニンゲン」なのだ。
キーボードに向かっているのは指ではない。「ニンゲン」なのだ。
そして、私自身なのだ。