の伝言

 11月5日  香田証生さんの死を悼む

「ルージュの伝言」は2001年9月12日で更新は止まっていた。
それは私自身の怠慢もあるけれど、夥しい殺戮に覆われながらも、その殺戮に国家の正義があるのだ
という声に私自身疑義を唱える自信が無かった。
殺戮に正義があろうとは思えなくても、自分の知らない「正義」と言うものがこの世に存在するかもしれないと、お化けを見たことが無いためにその存在を否定できない、そんな愚かさに気付いていなかった。

突然、テレビニュースに黒覆面の人間に捕らわれている日本の青年が映し出された。
驚きとともに、豊かな日本の軽率な日本人の困ったこと、と冷ややかに見ている自分がいた。
しかし他ならぬ自分自身が軽率な日本人そのもので、捕らわれの身の青年は「助かるかもしれない」と
根拠無く予想している自分がいた。一方でテロリストはこれまでも無辜の人を惨殺しているので彼もまた犠牲になるのかもしれないと想像もしていた。それはまさに想像で、現実を的確に捉えている予想ではなかった。

10月31日 香田さんの残酷極まりない遺体が発見され、報道された。時を待たずしてその模様はインターネット上で流された。多くの日本人は頭部を切断された遺体に香田さんへの哀悼の意とテロリストへの怒りと憤りを抱いた。私は残されたご両親、お兄さんの苦しみと悲しみとを思い、その家族のこれからの日々の暮らしの辛さに言葉を失っていた。同時に何度も繰り返された亡くなった香田さんの行動の危険さと判断の間違いを思い知るばかりだった。テレビや新聞では香田さんの遺体が日本に帰ってくると伝えた。遺品に「死海の石」と「紙ナプキン」があり家族に渡されたと伝えていた。
「死海の石」が遺品としてあったと知った時、私にこれまでには無かった感情が生まれた。死海に行き、記念に死海の石を持ち帰った、個人香田青年が生き生きと甦ったのだ。香田さんは死海の水にその指で触れたであろう、クリスチャンとして「神」を感じ取ろうとしたのであろうか、とそこに生き生きとした青年の姿が見えてきた。家族に望まれてこの世に生を享け、生き抜くことを命題とする「証生」という名を負い、光あるうち光の中を駆け抜け、神の近くに逝ってしまった香田さんの生命を私は深く深く惜しむ。

あの黒服の人間はテロリストなどではない。テロリストなど存在していない。そこにいるのは人殺しでしかなく、愚かな人の姿をした者でしかない。政治的対立を標榜し、人間を殺戮するのはイデオロギーを掲げれば神が赦してでもくれるかのように、自らの卑小さを自ら認め隠しているに過ぎない。まして無辜の命のやりとりを誰も許せるものは無い。黒服の人の容をしたものは世界が知る犯罪者だ。